7.教苑代天府
- 地点:福建省州市西街。
- 創廟年代:明洪武丁已年(1377)。この年、州に洪水があり、窪地の教苑は埋没した。
水位が下がってみると、水中に神牌が見つかった。拾ってみると、神牌の正面に「代天巡狩朱王府」と刻まれ、背面には「代天巡狩代天府」とあった。
これは、神の霊験と考えられ、人々は神の加護を願って廟を建てることにした(教苑代天府王爺廟管理委員会1993)。
- 主祀神明(生日):朱府千歳(神糊製)(12月16日)。
- 配祀神明及び同祀神明:漿官爺公、李府 温府 朱府 池府 康府(全て木製)土地公。
- 祭祀圏:主に西街の人。西街は雑姓(寥、呉、林、顔、康など)。人口約2000人。
- 王爺の起源:教苑代天府王爺廟管理委員会(1993)によると、代天巡守(ママ)王爺は、元代の三十六文武進士が皇帝の命で張天師に殺されたもの。
張天師は無辜の彼らが死に至ったのを哀れみ、皇帝に代天巡狩王爺を追封するように懇願した事が始まりで、後代の人が神像を彫刻し、廟を建てて奉祀した。
- 送王船儀礼:有り。焼く(送天河)。
- 巡境(有無及び範囲): 無。
- 分霊:屏東県車城郷後湾村代天宮、高雄代天巡狩代天府青龍宮、高雄鼓寿宮、鳳山聖宮、桃園五福宮、台南同済宮、屏東五龍宮、台中永順宮、台北社正宮など。
- 管理組織:90年に、台湾からの進香団の増加に対処するために結成。
上段中央は朱府千歳(紙製)下段左から李府千歳、温府千歳、朱府千歳、池府千歳、康府千歳
天井の棟の方向が一般の廟と異なり、天井の棟の方向が一般の廟と異なり
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