12. 富美宮

  1. 地点:福建省泉州市
  2. 創廟年代:泉州富美宮董事会・泉州市区道教文化研究会(1991)によれば、明代正徳年間(1505-1521)の創建。道光辛已年(1821年)重修。光緒辛已年(1881年)現在の位置に移った。1934年、李徳矮が土地を献上して重修。
  3. 主祀神明(生日):蕭太傅(5月17日)。
  4. 配祀神明及び同祀神明:三人の夫人媽(柳、李、陳)、王船の模型、狗舎爺(黒官爺)、文武尊王(唐代の忠臣の張巡と許遠。安史の乱で反乱軍に抵抗した。)、福徳正神、西班頭爺、東班頭爺。
  5. 祭祀圏:廟の所在地は、もとは聚津埔という。また后富美ともいう。
  6. 王爺の起源:蕭太傅は即ち蕭望之。字は長倩。東海蘭陵の人。皇帝の先生は、一番地位が高いのは、太子太師、2番目が太子太傅、3番目が太子太保。西漢の頃、蕭家の3人が福建にきた。
    祖先祭祀が転じて王爺となった。香火が盛んな理由は、晋江沿岸で、ここは、晋朝の移民が河口に集まった。また、山の人たちが海に出るのに通るところでもあり、交通の要所だった。
    こうして、冨美宮は泉州の王爺の「総的宮(総本部)」となった。泉州へやってくる王爺は、全てここへ挨拶に来る。
  7. 送王船儀礼:あり。王船を流すと中に、時々台湾に流れ着くものがあった。3年から5年に一度災害のあったときのみ流した。おそらく100艘くらいが流されただろう。
    晋江の下流で祭祀を行ったあと、帆をたてて流した。王船は本物の船と同じ で20〜30トンくらいあり、石を下に積んでいるので、転覆しない。
    を何日かやって流す。中には、お米、薪、お茶葉、日用品、1〜2匹の活きた「公羊」活きた白公鶏(時を告げるから、イヤリングをつける)。
    この他、泥土または紙または木で作った「水手」も入れる。武器や楽隊も作って入れる。
    台湾ではよく、音楽の音が聞こえたといって、船を拾い上げることがあったのはこのため。また、紙製の神様の衣装も入れる。
    こういったものは、信者たちが贈るもの。送るときに派遣される王爺は人数も姓名も毎回違うので、して聞く。
    24尊の蕭太傅の部将、70〜80尊の蕭太傅の部下などが含まれる。船に乗る王爺が、瘟疫を外へ連れていく。
    最後に流したのは1925年。科学の発達で瘟疫が減ったので以後は行われなくなった。20〜30担くらいの船。
    送王船の時、送り出される王爺は、蘇、魏、文、康、玉、李、周、梁、章、沈、廉、林、劉、蔡、駱、陳、狄、瓊、龍、高、黄、韋、沐、潘、殴、耿、理、何、封、譚、邱、王、方、郭、馬、殷、趙、韓、宋、姜、秦、斎、魯、越、鄭、莫など。(泉州富美宮董事会・泉州市区道教文化研究会 1991)。
  8. 巡境(有無及び範囲):有。南門地域(晋江沿岸)。
  9. 分霊:生日、春節の前に南安、晋江などから100団体以上が刈香にくる。台湾では、わかっているだけで、7カ所が冨美宮の船を拾った。
    例えば、雲林県聚宝宮(乾隆時代)、嘉義東石港先天宮等。そこからまた分かれた廟が1000余りある。
  10. 管理組織:1960年代に一時活動を中断したが、1988年に、改めて董事会を再組織。

富美宮本殿内部 19960106

富美宮王船 19960106

富美宮公羊 19960106

富美宮本殿富美宮本殿外観 19960106

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